くるみや物語

魚の棚、子午線、海峡のまち、明石。1957(昭和32)年 今と昔が交差する本町通りで、洋菓子店くるみやは誕生しました。洒落たカタチのショーケースが1本、その奥にはがっしり頑丈な木製の戸棚、窓際にはレンガ色の長椅子。 神戸元町で誂えたハイカラ調度品とともにお菓子づくりが始まりました。

創業者夫妻である丁子 績・はつみが大切にしたのは 「流行にとらわれず、ずっと愛されるお菓子づくり」 それは、基本を大事に、忠実に。 上質な素材にこだわり、正直に。 焼きたてのおいしさをまっすぐに。 これは今も、そして、これからも変わらない くるみやのお菓子づくりへの思いです。

丁子はつみは創業からおよそ8年間、高校の家庭科教師とお菓子づくりを両立しました。朝早く起きてシューパフを焼いてから学校へ。夕方、学校から帰れば、工房に直行。そんな日々にあって、「お菓子は永遠の夢であり、語らいであり、祈りである」と話しています。

どんなに時代は変わっても つくる人と、食べる人を、幸せにするお菓子には、 夢と語らいと祈りが込められています。 手から手へ、お菓子でふくらむ時間を、 くるみやから。

心を込めてつくったお菓子だから、
それにふさわしい包装紙でラッピングして手渡したい。
店名のKuRumiyaをモチーフに、
芥子色×茄子紺の清新なカラーリング。
こんな洒脱なデザインを手がけたのは、
昭和モダンを生きた、洋画家の飯森次郎さん。
くるみやのお菓子をこよなく愛した人でした。

飯森次郎 いいもりじろう

洋画家 1903(明治36)年~1993(平成5)年

東京美術学校在学中から近代日本の洋画に優れた業績を残した。
中村 彝(なかむら つね)に師事。
兵庫県明石市硯町で麓鳴社 飯森画塾主宰。

くるみやは瀬戸内海に浮かぶ淡路島を目の前にした明石、
北の大地の文教地区、札幌山鼻に店舗があります。
それぞれの工房でつくるお菓子は、地産地消にこだわって、
優しく、おいしい幸せを、豊かな食材の宝庫から届けます。